🐱 エーテル

2026/2/16

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。

第1章 エーテル

そう遠くない将来、本格的に宇宙の天気予報というものが現れるだろう。 人々はそれで宇宙服を変え、電波の受信チャンネルを変え、 使う宇宙ロケットの種類を変えるようになるかもしれない。 現在、天気予報を聞いて服を変えたり、 傘(かさ)を持ったり、交通手段を変えたりするように。

今日、観測データを理論的に考察した結果、 宇宙には人類が観測できる物質は五%しかなく、 望遠鏡で見えない暗黒物質(ダークマター)が二十七%、 暗黒(ダーク)エネルギーが六十八%存在すると判明している。 驚くべき事態である。 宇宙は二〇二〇年代の今日ですら謎に満ちているといえる。

これから語る物語は一九八〇年代半ばの日本に始まる。 当時まだ宇宙の観測データは少なく、宇宙天気予報はおろか、 ダークマターの存在さえも少数の宇宙物理学者の間で時おり話題に上る程度であった。

しかし、当時、少数の識者は、太陽系にある種の異変が起きているのに気づいていた。 それが一般大衆の目を引くようになったのはその年の三月六日だ。 日本の国立天文台が最近パラボラアンテナの受信状態が急激に悪化しているとし、 その原因として地球を取り巻く宇宙空間に何らかの異変が起きている可能性を示唆したのだ。

つづいて、NASA(アメリカ航空宇宙局)が、今度は逆に、 地球に降りそそぐ太陽風が弱まり、 衛星からの電波の受信状態が良好になっている一方、 太陽系外探査機・ボイジャーとの交信が途絶えたことを公表した。 交信はまもなく復旧したが、 宇宙に原因不明の異常気象といったものが発生しているのはほぼ間違いなかった。

しかし、スマホやパソコンが今日ほど普及していなかった当時、 この現象は一般の人々の関心を呼ぶことはほとんどなかった。 たまにテレビの画像が乱れるくらいは、取り立てて一般人が驚くことではない。

重大な懸念(けねん)を抱いていたのは、主に最先端の研究に従事する学者たちである。 彼らにとって、これは全く不可解な事態だった。 宇宙空間に何が起き、一体これから地球はどうなるというのか?

世界天文学協会副会長が機関紙に次のような論文を発表した。 「エーテル」という言葉が初めて使われたのは、この論文からである。

「全天にわたり太陽風が弱まり、宇宙線がふえるという現象は過去に例がありません。 太陽系はいま未知の物質が充満する霧のような領域を航行中なのかもしれません。 ひょっとするとこれこそが予言された謎の物質なのかもしれません。 しかし、現在の人類の観測技術ではわかりません。 私はこの状況を、仮に地球が『エーテルの海』に突入したと表現したいと思います。 最大限の警戒態勢をもって、状況を見守らねばなりません」

地球の置かれた状況は四月になっても変わらなかった。 学者たちは引きつづき憂慮を深め、観測に余念がなかったが、 心配されたエーテルの副作用に目立ったものがないのをいいことに、 一般民衆はその警戒を解きはじめた。 エーテルを『ノストラダムスの大予言』の天文学者版として笑いとばそうとしたのである。 人間はいたって忘れやすい存在であり、自分に影響しないものは急速に忘れ去るのだ。

この現象に実は深い意味があることがわかったのはずいぶん先の話だった……。

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