🐱 ロングホームルーム
六時間目のこと、伸一のクラスはロングホームルームが行われていた。 担任は島村という若く、大がらの熱血漢で、 かっこがいいというので、女生徒中心に熱烈なファンが多くいる先生だった。 しかし、何ごともマイペースの伸一は、 青春ドラマから飛び出してきたような、そんな先生の言動がケムたくて好きになれなかった。
それだけではない。 島村先生は、クラス担任になった最初の日から、伸一の方を妙によく見る気がするのだ。 それも、ふだんの笑い顔ではなく、 眉間(みけん)にしわを寄せた険(けわ)しい表情で……。 初めは思いすごしと思っていた彼だが、一週間後の今は間違いなく意識的なものだと思う。 先生が特定の生徒をひいきするというのはよく聞く話だが、 特定の生徒をのけ者にするというのは聞いたことがない。
福山には「おどくしゃー」という方言があった。 生意気とか、むかつくとか、どんくさいとか、そんな意味で使われるようだが、 本当のところ、何を表しているか、伸一にはわからない。 わからないが、島村先生という存在を彼が一言で表すなら「おどくしゃー」となるのは間違いない。
「諸君がこのクラスの生徒になってからもう一週間が過ぎました。 クラスの各種委員はまだ決まっていませんが、 民主主義のプロセスにしたがい、それを決めるには、 もう十分な情報が諸君の手もとには集まったはずです。
そこで、今日は公正な手続きにしたがい、それらの委員を決めていきたいと思います。 司会も、担任の私でなく、日直の二人にお願いし、 まず学級委員、副学級委員を決めましょう。 決まったら、今度はその二人が司会して、 残りの十二人の委員を順次決めていきます。 そうすることで自治というものに関して諸君は十分よい経験を積めるはずです。 よろしいでしょうか?」

教室は水を打ったように静かになった。 誰もが島村先生の高尚(こうしょう)な演説に度肝(どぎも)を抜かれたのだ。
「異議のある者があれば挙手してください」
またしても静寂が流れた。 島村先生は苦笑し、教壇へ男女二人の日直を呼び寄せた。
「それじゃ、学級委員、副学級委員を決めなさい。 立候補、推薦、選挙、方法は何でもいいでしょう。 私は後ろにいますから、わからない点があれば何でも訊いてください」
日直は一人が司会、もう一人が板書係となって動き出したが、 二人とも不安げに担任を見るばかりで、 委員選びはまるで座礁(ざしょう)した難破船のように進まない。 立候補者がいないのも予想通りだ。 しかたなく、担任の指示にしたがい、出席簿で指名した生徒たちが てんでに男子三人、女子二人を推薦した。 しかし、それからなかなか進まない。 これ以上やっても時間のむだということで、投票になった。
と、ここで突然、推薦されたうちのひとり、岡田翔太が立ち上がって推薦を辞退すると言い出した。 自分は学級委員でなく、体育委員をやりたいからそっちへ立候補するというのだ。 司会者はとまどい、どうしたらいいかわからない。 またしても島村先生におうかがいを立てたが、民主主義を主張する先生は、 そうした問題は皆で決めろというばかりだった。 数分後、それは、何ということはない、つまり、多数決をとるということだとわかり、 日直が生徒たちに挙手をお願いし、その結果翔太の意向は圧倒的多数で認められた。 翔太が体育委員に適しているということは、誰もが周知している事実だったのだ。
それを見て同じように推薦を受けた上月(こうづき)はるかが 自分も本当のところ図書委員をやりたいと言い出したのだが、 こちらは多数決で否決された。 はるかが本好きというのは、誰もが周知している事実ではなかったらしい。
結局、学級委員は男子土田隆、女子上月はるかとなった。 土田というのは有名な財閥の御曹司(おんぞうし)で、 毎日運転手つきの高級車で学校まで送迎されているという噂のある生徒だった。
そのせいだろうか、土田主導で進んだ選挙は、超スピードで進行した。 めんどうが嫌いな土田は、立候補があれば即決した。 推薦の場合も投票によらず、賛成者は手を挙げろといってすぐに決める。 日直の司会進行とはけた違いに速い。 体育、図書、清掃、文化、生活、放送の各委員は 終了時刻まで二十分を残して全て決まってしまった。 あみだくじとほとんど変わりなかったといってもいいかもしれない。 物事の進め方にたけているという点に関してだけは、彼は学級委員に適任かもしれなかった。
しかし、とても民主主義のプロセスの学習とはみえない。 島村先生が苦虫をかみつぶした表情で教卓に戻ったのは言うまでもない。
「諸君は選挙というものがまだ十分わかっていないようです。 しかし、経験を積むことで、今後次第に民主主義の概念に慣れていくのを信じましょう。 今日はその第一歩ということなので、まあしかたのないことかもしれません。
予想外に多くの時間があまり、このまま終了させてはうるさくて他クラスの迷惑になります。 しばらく私の話を聞いてもらうとしましょうか」
先生のその言葉に生徒たちは一斉にブーイングをはじめ、教室は騒然とした。 先生は手を挙げてそれを制し、妙に声を落としてこう続けた。
「諸君は中学を出ると高校、高校を出ると大学、 そしてその後は否応なく社会という荒波に巻きこまれます。 ところが、今の日本は数年前から、何か変調を来しはじめています。 ジャパン・アズ・ナンバーワンとか、大学ディズニーランド化とか騒いでいますが、 静かに格差社会が始まっていて、 へたをすると落伍(らくご)して最底辺をはいずったり のたれ死にしたりする生徒も出てくるかもしれません」
先生の言葉の突然の深刻さに、教室内はにわかに静かになっていった。 島村先生はそれを確かめ、一瞬にやりと笑ったように見えた。
「これは諸君の将来を左右する大問題で、勘のいい知識人は気づきはじめています。 しかし、今人知れずそれ以上に重要な問題が浮上していることに諸君は気づいているでしょうか?」
生徒たちはポカンとしていた。
「いいですか、地球周辺にはエーテルがたちこめていると言われています。 先月メディアはそれなりにこの問題を取り上げていましたが、状況が変わらないとして、 今月それを取り上げるところは皆無です。
しかし、決して状況が好転しているわけではありません。 それどころか、エーテルは地球のみならず、今や太陽系全域をおおっているのです。 実はこの現象は日本人どころか、人類の存続を左右する大問題であり、 そう考えると格差問題の数千倍も重要な大問題ということになるのです」
こう言って、島村先生は、教室中の生徒たちを刺すような視線で見回した。
「どう対処するのが正解でしょうか? 私はその方法を知っている数少ない人間のひとりです。 ただ学校という公の場で、それを言うことはできません。 不公平が生じるからです。 聞きたい者があれば、駅前の進学塾『アカシックゼミ』へ来てください。 私はそこで非常勤講師をつとめています」
生徒たちは突然の先生の広告に、どう反応したらいいのか、そのすべを知らなかった。 とめどない静寂が流れたような気がした。
ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り出した。 日直が号令をかけ、授業は突然終わった。
