🐱 岡田翔太
その日、母は朝から忙しくて弁当を作れないから、伸一に昼ご飯は購買で買うように言った。 伸一が弁当を受け取って教室へ戻ろうとしていると、 廊下で同級の岡田翔太(しょうた)と出くわした。 均整の取れた体格で、 百メートルが十一秒台、テニス部でもよく賞状をもらっているというスポーツ万能の少年だ。 そういえば、翔太はいつも購買の弁当を食べている。 二人はそのまま教室へ戻り、その流れで窓際の机でいっしょに弁当を食べた。
彼らが通っているのは楽々(らくらく)学園という私立の中高一貫校で、 福山市の東部にある。 尾道に住む伸一にとって電車で四十分かけて通うのは大変だった。 しかし、翔太は広島市から新幹線に乗って通っている。 かかる時間といい、費用といい、伸一よりけたちがいに大変だ。 伸一は前からそのことを翔太に直接聞いてみたいと思っていた。 この時、たまたま話題が通学のことになった。
「大したことないよ」
翔太は事もなげにそう答えた。 伸一とちがい、翔太は何についても楽観的な性格なのだ。 楽観的というより、何事もあまり気にしないといったほうがいいのかもしれない。 失敗もあるだろうが、それはペロリと舌を出し頭を下げることですませてしまう。 伸一からみるとまことにうらやましい性格だ。 しかし、翔太からみれば、伸一の考え深く、慎重な行動が逆にうらやましいものであるらしかった。

「登校に時間がかかるじゃろ?」
「タイブレークのテニスマッチくらいかな」
「テニスのことはようわからん。 新幹線には何分くらい乗っとるん?」
「三、四十分てとこかな」
「思ったより短いなあ。 そこでは寝とるん?」
「まさか。 寝過ごして岡山行っちゃうよ。 ま、帰りに乗り過ごして博多へ行ったことあるけど」
「それじゃ、その日のうちに家へ帰れんのじゃ?」
「そんなことないさ。 着いたら十一時頃にはなったけどね。 それはそれで面白いよ」
「そうなの? でも、ずっと起きとくのは大変じゃね」
「ウォークマン聴きながら読書してると眠くならないさ」
「読書? すっげーっ!」
すると、翔太はしてやったりとばかり舌を出して、こう言った。
「ははは、読むのはマンガだよ。 『こち亀(かめ)』と『ドラゴンボール』は全巻読んだ」
「なあんだ。 でも、電車代やマンガ代が大変じゃろ?」
「おれを歯医者の後つぎにするためにこの学校通わせてるくらいだから、 それくらい出すさ」
「いいなあ、ぼくもそんな身分になってみたいよ。 広島のどういうところに住んでるの?」
「楽々園てとこ」
「らくらくえん、うちの学校と似とるな」
「もともとそういう名前の遊園地があったのさ」
「今はないの?」
「ちょっと前につぶれた。 昔はジェットコースターとかプラネタリウムとかあって、にぎわっとったらしい」
「らしいって、行ったことないん?」
「ああ。 おれが赤んぼの頃、つぶれた」
「残念じゃな」
「そうでもないさ。 お前、広島の七不思議って知ってるか?」
「いや、知らん」
「そのうちの一つが、楽々園遊園地の謎だ」
「何が謎なん?」
「わからん。 それが謎だ」
「はぁ?」
「戦前からやってたのに、戦後のテーマパーク・ブームの前につぶれたのが謎なのかな?」
「謎かなって、お前、七不思議ってほんとなのかよ?」
「ほんとさ」
「じゃ、あとの六つは何だ?」
「知らん。 聞いた気がするけど、忘れた。 今はファミコンがありゃ、遊園地なくてもいいしな。 こないだ言ってたスーパーマリオ、クリアした?」
「ああ、もう何回もクリアしてカセット売っちまった」
「クッパが吐き出す火をよけるの、大変だったろ?」
「たいしたことないって。 でも、アクションよりRPGが好きなんで、いまはウルティマ3やっとる」
「それ、どんなの?」
「ドラゴンクエストの元祖みたいなやつじゃ」
「はあ?」
「お前、ロールプレイングやらんの?」
「攻略ガイド見て考えるようなのめんどくさくって」
「だって、お前、駅前の進学塾に通っとるって言ってたろ。 参考書片手って、得意なんじゃないか?」
「あれは親が通えっていうからしかたなく……」
そう言って翔太は頭をかいた。 大体において、翔太はこみ入ったものがきらいなのだ。 テニス部に入ってはいるが、 一番好きなのは百メートル走らしい。 ルールが単純で、結果がパッとわかる競技がいいのだとか。
「じゃ、ほんとは行きたくないの?」
「ああ。 歯学部なんて、もともと医学部ほどいい成績いらないんだ」
「ふーん」
校庭をながめていた翔太は、そのとき突然立ち上がった。
「テニスコートが空いた。 ちょっと打ちに行ってくるわ」
そう言うと、教室の後ろに立てかけていたラケットバッグをつかんで教室をとび出していった。
